私の出産 その3

2017-09-21

私は落ちました。
がっかりしたとか、愕然とするとか、私の感情はそんな表現では足りないほど落ち込みました。
今思えば相当に疲れていたのです。

私が当時勤務していた会社では夏休みに入るとファミリーデーという日があり、その日は家族をオフィスに招き入れることができ、主に子ども向けの催しを部署ごとで主催するお祭りのような日です。毎年数カ月前から各部署から実行委員が選出されるという力の入れようです。
その前年、私はこのファミリーデーの実行委員をやるようにお達しが上から降ってきました。イエスマンのこの私が「このお役目だけは勘弁してくれ」と懇願したほどに心は病んでいました。子供のいる幸せな家族のために私がさらに頑張ることがもう許容できなかったのです。

「あともうちょっと、あともう少し」と毎朝自分を奮い立たせ会社に向かっていました。この念仏はかなり私の頭の髄まで染みついていたらしく、子どもが小学校に上がったつい最近まで、たまに思い出して頭の中をループしていたほどです。本当に。

そして、私は思い切って自らお別れを告げました。これ以上お付き合いしても意味がないと。
もちろん不本意な提案です。かすかにでも首を横に振ってほしかったのですが、彼は家に置いておいた自分の歯ブラシや下着を取りに私の自宅に来ました。あっさりとしたものです。困った深刻な表情を見せているものの、私と違って感情がほとんど出ていません。
そして玄関から出る寸前、もう終わりだと涙がでたその時にクルっと振り向いて「一緒に住もう」とつぶやいたのです。
私の人生が首の皮一枚でつながった瞬間です。嬉しいを通り越して全身の力がゆるゆると抜けました。

それでも、子どもを持つことに同意を得たのは半年ほどかかりました。
細かなところは彼に了解をもらっておらずコッソリ書いているので省かせていただきますが、一言でいれば、彼が勇気を出してくれた結果です。彼なりに抱えたものがあってそれを乗り越えてきてくれたことに感謝です。

ひとつ学んだことは、男性が三十代後半を過ぎて独身のケースでは闇雲に待ってはいけないのですね。その年齢で独身ということは結婚に対して何かしらの思いがあるのだと思います。白馬の王子様が来なければ自分で白馬を買って乗り込むくらいの気概がなければ先に進まないのかもしれません。

実は、お別れを告げる前から不妊治療のクリニックに出入りしていました。
結婚どころかお付き合いを継続するかどうかを悩んでいる段階で、です。
その時私は38歳。実際、自分が妊娠できるのかどうかさっぱり分からなかったのです。もし子どもを産めない体にも関わらず赤ちゃんが欲しいからと彼にプレッシャーを与え続け、結局別れることになっては、何も得るものがないまますべてを失うと思ったからです。
かろうじて簡易的な検査では問題ありませんでした。

しかし、不妊治療のクリニックでは私がなぜ検査を希望しているのか、何度説明しても最後まで理解してもらえませんでした。たいがいはすでに結婚していて、何年かして授からず来院する方が多いようで、医師は男性でしたが高齢で妊娠どころかその前段階にいる女の気持ちは察することは難しかったようです。
「結婚すらしていないのに、何をそんなに心配しているの?」と言われているようで苦痛の何物でもありませんでした。